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ふたおもて

「旅行か。しかしひとり旅はなあ」

「ひとりじゃないって。先輩について行くだけだから」

「その先輩がどんな人か知らないから心配なの」

わたしから無理を言うような形でコミックマーケットに行こうかとお姉さんに誘わせた翌日。夕食を終えて一息ついている両親に、細かい事情を包み隠して旅行のことを相談した。

結果は、だいたい考えていた通り。あまり色好くない。

わたしが両親の立場でも、知りもしない先輩のことを娘が持ち出してくればこう言うだろう。

「じゃあ、会ってもらってもいいけど」

ちょっとふて腐れた感じを出しながら、そう呟く。

これはもうお姉さんにも了解を取りつけてある。実際、会われて困ることもない。

学校の先輩にあたる大学生で。たまに勉強を見てもらっている。という情報に嘘はないからだ。若干挙動不審なところが不安要素だが。

知られると困りそうなのは、彼女曰く、わたしに悪い遊びを教えてしまっている。らしいこと。

といっても、法に触れるようなことではない。わたしが勝手にお姉さんがやっているパソコン通信やゲームなどに興味を持ち、少し質問をしたり眺めていたりするくらいのことだ。

そういうオタクっぽい、あまり一般的ではない趣味にわたしが興味を持っていることに、彼女は後ろめたさを感じてしまうらしい。だからといっては悪いが、もし両親と話すことがあっても、そういうことについては黙ってくれるはずという打算がある。

こうして両親の相手をしながらつらつら考えると、酷い話かもしれない。

お姉さんがわたしに優しくしてくれる気持ちを利用しているのだから。

だがそこは、わたしになんとなく好感を抱かせてしまう、ぼんやりしてそうなのに変なところでちゃんとしている自分を呪ってほしい。などと、勝手なことを思ってしまう。

実際、いい人なんだろう。年下の質問やわがままに付き合ってくれるのだし。

「会う、会うかなあ」

父がちらりと母の方を見る。君はどうしたいとでも言いたげな目線だ。

「先方にもご都合があるでしょうからね」

うちは父が迷うと、母がまとめに入るようなところがある。

今の状況を分析すると、父はわたしがそこまで言うならと若干こちら寄りになりつつあり、母はそんなふたりを観察しているといったところだろうか。

本人はそんなことを考えていないかもしれないが、話を続けてみなさいという母からの圧力を感じる。

「電話はどう」

上手く操られているようで少し癪だが、話が続く材料を出す。このまま打ち切られるのはよくない

「いいんじゃない」

「じゃあ、かけるから」

どちらからも止められなかったので、電話の前に行って番号をプッシュする。こちらの親機には番号を登録していないからだ。

休日の夕方にいるかどうか少し不安だったが、果たして受話器は取られた。

「はーい。どなた?」

今起きてきたかのように気の抜けた声が響くので、名乗って用件を話す。

「あー、ご両親とか。りょーかい。頑張る」

本当にこれで大丈夫かと少し心配になるが、電話を保留にする。

「今話せるって」

こちらを見ていた両親が目を合わせる。

「君が行ってくれよ」

「はいはい」

まずは母が話すことになったらしい。わたしのことについてだと、両親の力関係は母が優勢だから、父は今回もそうしたのだろう。

「代わりました。あなたが娘の先輩の。いつもお世話になってます」

挨拶から始まり、相槌を挟みながら、話が進んでいく。

「そうですか、試験勉強を。ありがとうございます」

勉強を見てもらっているのは本当なのか確認をしているのだろうか。成績のことなどもちょっと話に混じりながら、話は旅行の件になったらしい。

「ご迷惑じゃないといいんですが。それに、おかしな所に行ったりしないかも心配で」

親としてはそこが一番心配だろう。お姉さんが悪い人の可能性も見過ごせないはずだ。だから、この電話は最初の審査なんだろうから、信頼を勝ち取ってほしい。

「ええ、はい。それじゃあそうしましょう」

どうやら、なんらかの話がまとまったようだ。

受話器を保留にして、母が父を呼ぶ。

「水曜に会うことになったわ。一応あなたからも挨拶して」

「ああ、はい。父です」

馴れない相手への電話のせいか、少し間の抜けた応対になっている。

うちは母の方が色々としっかりしているというか、父はつかみどころが知れない。

「はあ、大学はあそこの。はは。うちの子も行ければいいんですが。いやあ、娘のことは母親に任せっきりでして。ええ。あとはお会いしたときに話すということで。うん、それじゃあ」

ぎこちない会話がひとしきり続く。

「代わるか」

父は受話器をこちらに向けてきたので、それを受け取りに行く。

「突然すみませんでした」

「いやー、いいのいいの。というわけで、水曜日に君のお母さんと会うことになったから。またね」

いつもの軽い調子が向こうから聞こえてきたので、ちょっとほっとするが、ちゃんと説得してくれたのだろうかと心配にもなりながら、電話を切った。

「ちゃんとした感じでよかったな」

「そうね。礼儀正しくて」

わたしが受話器を置いたら、父と母がそんなことを言い合う。

いったい何を話したのだろうか。それよりも、ちゃんとした感じや礼儀正しいのような言葉と、わたしの知っているお姉さんとの落差が激しくて驚く。

あの色々なことをするりとやり過ごすような姿は、お姉さんの一面に過ぎなかったのかと、当たり前のようでもあり、失礼なようでもあることを考える。

「まあ、俺はいいと思う。お前から説明された内容通りだったしな」

椅子に座りなおす父から、母さんはどうだと水を向けられると母もうなづく。

「本当に決めるのは話をしてからよ」

そう釘を刺してくるが、悪い感じではない。

「しかし、旅費は大丈夫なのか」

「お年玉の貯金とかがあるから、それでなんとかなる、はず」

「そこまであてがあるか」

「そういう所はしっかりしてるから」

褒められているのか呆れられているのかわからない声が、ふたりから出た。

わたしは、あまり親にねだらない方だと思う。小学校の中学年くらいからは月に決まった額のお小遣いをもらっているので、その中でやりくりするのが癖になっている。しかし、学校の行事などで必要な物は親の方から買いに連れて行ってくれるし、季節の服なども買い物に連れて行かれ、そこで買ってもらえる。だから、お小遣いは友達との買い食いと、月に何冊か本を買うくらいにしか使われない。

それがしっかりしている、無駄遣いをしていないという気にはなれない。

わたしにはあまり欲がないかもしれないと、時々感じる。与えられたものがあれば、だいたいはそれで足りてしまうからだ。

恵まれすぎているともいう。

わたしとしてはかなり甘やかされている自覚があるが、親としてはあまり甘やかしがいがない種類の子かもしれない。

「行くことになって、足りないようだったらちゃんと言いなさい。迷惑になるからな」

「そうそう。宿代もただでいいって言われたけど、お世話になる分はお礼をしないと」

それは確かにその通り。

あの日の夕方、わたしが帰る前にお姉さんがパソコン通信のホストを確認したら、泊まっていいし、宿泊費はただでいいとメールが届いていたのだ。

しかし、数日間泊めてもらうだけなのは気が引ける。

「一応、お礼にいくらか渡そうと思ってる」

東京までの交通費と向こうに行っている間の生活費を引いても、お金には少しの余裕がある。

「向こうがお金はいいって要ってるなら、お土産のほうがいいかもね」

確かに。そのほうがお互い気を遣わなくてよさそうな気がする。

「ありがとう。そうしてみる」

「しかし、お前に先輩後輩の付き合いがあったとはなあ」

母にお礼を言うと、父が感慨深げにそんなことを言ってきた。昔から家で友達のことなんか碌に聞かなかったのにな。などと続く。

そもそも親密な友達がいなかった小学生からの付き合いは中学受験で失われたし、その中学校でも寄り道をする程度の付き合いは維持して極端に孤立しないようにはしているが、それだけだ。

もないのに電話をかけたり遊びに行くような友達は、お姉さんが初めてといっても過言ではない。

「わたしだって変わってるんです」

「いいことだと思ってるよ」

父は新聞を開き、わたしの顔を見ずにそう言う。娘の親離れより、社交性のなさが心配なのだろうか。

だが、それ以上何も言われなかったので、わたしも何も言わない。

「そういうところはお父さんそっくり」

黙り込むわたしたちを見て、母が苦笑する。

「そうかな。率直なところは君譲りだと思うよ」

母はきちんとものを言う方だが、わたしはわからない。どちらかといえば、流されるままになっている方だと思っている。お姉さんからここぞというところでちゃんと言える子だと評価されたのにも、少し反発感があった。

頭の中で考えていることに比べると少しだけしか話せないのに、ちゃんと言える子だなんて。

「あら、それは褒め言葉ですか」

「そう受け取ってくれると嬉しいね」

顔を上げないままそう答えた父に、母は喜んでみせながら、テレビのスイッチを入れる。娘の前だからかはわからないが、仲がいい。

バラエティ番組を数時間眺めながら両親と雑談した後、お風呂に入り、ドアを開けっぱなしにしていた自分の部屋に戻る。

部屋に扇風機はあるが、この季節は居間のエアコンから冷気のおこぼれをもらった方が、俄然快適だ。

だから、プライバシーを義性にしてドアはできるだけ開けている。

親がいるとお姉さんに電話するのも気が引けるので、ベッドに寝転がり、枕元に置きっぱなしの本をめくりながら、今後のことを考える。

親との交渉がまとまれば、あとは行くだけ。

なんとなくお姉さんと離れたくない、一緒にいる時間がもっとほしくなり、その場の勢いでどこかへ行くことを提案してしまったが、まさか東京旅行になるとは。

お姉さんはわたしの思い切りのよさを褒めるが、わたしからすれば、お姉さんからは何が飛び出すかわからない。だが、よくわからないところへ連れて行かれるものの、そこの居心地は決して悪くない。

だから、今度の旅行も、行ければ多分楽しめるはずだ。

自然と顔がゆるんできているのがわかる。誰からも見られてはいないが、本で顔を画しておいてよかった。

それに、今のうちから行けると決めてかかるのもよくない。

やっぱりだめと言われる可能性もゼロではないのだから。

だが、お姉さんとのことを考えると、いつも考えが楽観的になってしまい、困る。

あちらは自覚してかふざけてなのかデートやお姫様という言葉を軽々しく使ってくるが、こちらとしてはかなり本気で好意を抱いている。

今まで考え、接してきた友達というもの以上には。

それがよくいわれる本当の友情というものなのか、恋なのかはまだよくわからない。これからわたしの中で決められていくのだろう。

本をめくりながらそういうことを延々考えていると、いい時刻になっていた。明かりを消し、あらためて横になる。

明日の昼間、両親が仕事に行っている間にお姉さんへ電話をしよう。

母と会うときの打ち合わせをしたいし、さっきの電話で何を話したらああなったのかも知りたいし、何より声を聞きたい、どうでもいい話をしたい。

今は午後十一時。お姉さんはそろそろ活動を始めるはずだ。

わたしは逸る心を抑え、眠りへと落ちるのを待つ。

明日電話に出てくれるといいな。そんなことを思いながら。