僕の体は生まれつきあまり丈夫な方ではなかったらしい。事実、父さんと母さんが転勤で遠くに行く時、僕は行った先の気候に耐えられないからという理由で叔父さんに預けられた。
母さんは泣いていて、父さんの顔は。
父さんの顔は覚えてない。
いつか僕が寝込んだとき、なぜかそのことが凄く気になってつききりで看病してくれた叔父さんに聞いた。
「兄貴は昔から泣き顔を人に見せるのが嫌いだったからな」
叔父さんはそう言うと優しく笑って僕の頭を撫でてくれた。
その日はとても気持ちよく眠れた。久しぶりに夢を見て、その中で母さんと、僕が顔を覚えてないせいかぼんやりした顔の父さんに出逢えた。
次の日、難しい顔をした先生と叔父さんが僕の部屋にやってきた。
「申し訳ない……君……の病気は……」
「……他に手は」
「……無理……これが……すれば……あるいは」
先生が長い話をした。僕の病気は今の医学では治せなくて、治療法ができるまで眠らないといけないらしい。叔父さんはとても辛そうな目をしていた。
「叔父さん、大丈夫だから。少し眠るだけでしょう?」
そう叔父さんに言ったけど、叔父さんは壁に向かって立っていた。
やっぱり父さんの弟だと思って、ちょっとおかしかった。
母さんと父さんへの連絡は済んでいるらしく、あとは僕が書類にサインをするだけだった。僕がサインをすると、施術は月が一周した頃に行いますと言って帰っていった。
「叔父さん、待っててくれるでしょ」
「お前が目覚めるまで生きてるのは無理じゃないさ。ただな、それはとてもさびしい事なんだ」
叔父さんはそう言って、少し腫れた目で僕を見て微笑んだ。
それから眠りに入るまで、僕と叔父さんはずっと一緒に過ごした。先生から許可を貰って、家の外に出て遊んだりもした。
そして、僕が眠る日になった。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
僕と叔父さんの挨拶はそれだけだった。
先生に案内されて小さな部屋に入り、用意された装置に横たわる。
少年が眠りについた後、彼の叔父は主治医に石を刻んで作った一枚の銘板を渡した。
「これをあの子の部屋に。私がしてやれることはこれくらいですから」
「わかりました。」
男の顔を見ぬまま銘板に刻まれた文字を一瞥すると、老医師はその板を抱えて部屋を出て行った。
あれから、僕はずっと夢を見ている。
夢の中には母さんと顔がよく見えない父さん、叔父さんがいて、みんなで暮らしている。たまに、僕の知らない人も遊びにきて、そのまま居着いたり家に帰ったりする。
夢の中もあまり退屈しないけど、外で待っている叔父さんのことを考えるとさみしい。だけど、最近は夢に出てくる人が増えたせいなのかたまに外のことを忘れてしまいそうになって、叔父さんに悪いことをしてると反省することが多い。
今日も部屋の戸を叩く人がいる。お客さんみたいだ。
男は医院の中を彷徨っていた。今まで何回転げ転んだか分からぬその服は青黒い干潟の乾きかけた泥と、それ特有の蟲や微生物の生き骸が腐敗していく臭気に塗れていた。
知性が殆ど欠落し首からだらしなく垂れ下がった顔は目だけが爛々と輝き、何かを探している。
通路に満ちた生臭いぬめりに何度も足を取られながらも男はその扉へと近づく。
常識的な三次元空間には存在しえないその構造物は、男に入れと囁きかけるように暗緑色の中に漆黒の裂け目を作ってそこに聳え立っていた。
男がなんども夢見たそこに。
誘蛾灯に誘われる蛾のようにおぼつかぬ足取りで男は裂け目に近づく、そして、この部屋の主が眠りについた時この部屋に掛けられた銘板を見る。男の目に一瞬どの賢人のそれよりも強い理性の光が宿り、通常なら理解できるはずもない記号の羅列を意味あるものに変換する。
“Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn.”
不幸にも男が取り戻した理性が絶望の絶叫をあげさせたのはそれから一瞬も経たぬうちのことであった。
“That is not dead which can eternal lie,
And with strange aeons even death may die”
Abdul Al-Hazred