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Hysterical Amnesia

ほろほろとピアノの音がする。

いつから始まったのかわからない演奏が家を柔らかく包み込んでいる。

いつの頃から音がするようになったんだろう。

午後のお茶を飲みながら、ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。

いつの間にか始まったメロディは、終わることなくリズムを刻み、私とこの家を包み込んでいる。

そしてそれはずっと今まで続いて、今もまだ続いている。

そんなことを考えていると、呼び鈴が鳴った。

この家の呼び鈴は古くてセミの鳴き声が小さくなったような音しか出ないが、なぜかメロディにかき消されることなく私の耳に届く。

「郵便です」

郵便屋さんだった。

「ポスト、壊れてましたよ」
「ごめんなさい、直しておきますね」

私が郵便屋さんにそう言うと、彼はちょっと顔を歪めてから軽く会釈をして、出ていった。私の顔に何か着いていたのだろうか?

そういえば、庭もかなり荒れている。手入れをしないと。

郵便屋さんもこれに驚いたんだろう。

手紙は兄さんからだった。

仕事でいつも外国を回っているので、珍しい絵はがきや写真を送ってきてくれる。

今度の写真には、どこかの杉林みたいなのと、とんがり屋根のお城が写っていた。寒いところらしく、雪もちょっと写っている。

『そろそろそちらも冬だろうから』

兄さんは何か勘違いしているらしい。こっちはまだ秋になりかけてる時期なのに。多分、かなり寒いところで働いてるんだろう。この写真を見ただけで少し寒くなったくらいだから。

『二人とも風邪などひかないように気をつけて』

おかしい。

私は兄さんと二人暮らしなのに。

郵便屋さんが間違えたんだろうか。

でも、サインは兄さんのサインだし、この辺りに家はここしかない。

兄さんは誰か友達に送る手紙を間違えて私に送ったんだろう。

だけど、何か引っかかる。

なんだろう。

なんとなく目眩と寒気を感じたので早めに片づけをしてから部屋に戻ると、かなり寒くなってきた。冬みたいに寒い。寝冷えでもしたんだろうか。

羽織る物は無いかとタンスを探していると、奥に小さなフォトスタンドがあった。
ひび割れたガラスの中には、兄さんと私と姉さんが――

――姉さん?

いや、私の知っている家族は兄さんだけ――

でも、この写真の中には姉さんがいて。

寒さがどんどん増してくる。

ピアノの音がだんだんか細くなってきた。

写真にはピアノも写っていた。

ぴかぴかの黒いグランドピアノ。

しかも窓の外にはこの家の庭が見える。

どこにピアノがある?

ピアノなんてこの家にはないはず。

食堂、居間、応接室、兄さんの部屋――

全部廻ったけどどこにもピアノは無い。

台所やトイレも見たけど、ピアノはなかった。

気がついたら息が白くなるほど寒かったけど、今までそれどころじゃないほど何かに焦っていた。

でも結局、ピアノは無いんだ。

多分あの写真も、友達の家かどこかで撮ったものなんだろう。

なんとなくほっとして部屋で休もうとした時、それは聞こえた。

ピアノの音。

はっと振り向くと、そこにも私の部屋そっくりの扉があって――

そこからピアノの音色がほろほろと漏れてきている。

多分ここは、開けちゃいけない扉。

頭ではそう解っていても、ものすごく開けたくなる。

手は自動的にノブに添えられて、勝手に回す――

部屋の中はがらんどうで、中には古ぼけたグランドピアノが。

全てを見る前に、もの凄く頭が痛くなって私はうずくまって――

そのまま気絶してしまったみたいだ。

意識を失う前、私は聴き慣れた曲のフィナーレを聴いた気がした。

気がついたら、姉さんに謝らないと。

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