仰々しい題名になってしまったが、何も学術的見地からアウトサイダー論をぶとうというのではない。屋木先輩から興味深い本を貸していただき、会誌の題材にしようと思い原稿を書いて提出したのだが、『●としての○』という題名が慣例化している(たまたま二回続けただけなのに誰が決めたのか!)この連載に相応しくない題名だと、偏執、もとい編集長の仲松君から難癖をつけられこれに改題させられてしまったのだ(これは彼への貸しにしておく)
さて、加筆した前置きが長くなってしまったが、今回の題材はアメリカの作家ケイ・アグリプス(Kei Agripus)が著した小説、『山荘にて(原題はin Retreat)』である。いわゆる『クトゥルーもの』のアンソロジーに入っている中篇で、雪山の山荘に宿泊していた人々が突然の吹雪で閉じ込められ、食料を探すために地下室を探索していたら……というホラーではありきたりなストーリィであるが、私がこの作品で最も作者の才能を感じたのは登場人物の一人、イアン・キンブルのキャラクター造形である。このイアン君は主人公の友人であるのだが、実家が金持ちでなければいつ死んでいてもおかしくないほど病弱で、勉強は家庭教師について習い、長じてからもひがな一日幻想文学や耽美文学を読み耽り、日曜の礼拝に行くような人々を心底軽蔑しているという、なんともありがちなキャラクターだ。
しかし、主人公に引っ張り出されてついていった山荘で遭難して極限状態に陥った時、彼は豹変する。
なんともご都合主義的展開なのであるが、山荘の地下には超古代から伝わる古文書と、食べると寒さから身を守ることができる『肉』が存在しており、皆でそれを食べようとした時、イアンは主人公達を呆れた顔で見廻し、僕はそんなおぞましい物を食べるくらいなら死を選ぶと言い放つ。
単なるキャラクター設定の破綻や、その肉がイアンに生理的嫌悪を催させたと簡単に解決するのもいいが、こう考えるのはどうだろう。
イアンが、彼もまた自覚のないまま自分の『役割』を『アウトサイダー』と設定して行動していたとしたら。地上において病を持ち働くことも家庭と接することもできない『アウトサイダー』である彼は倖せな一般的家庭の象徴である日曜の礼拝に行く人々を呪う。一転、極限状態で皆が生きるために必死になった状態では『アウトサイダー』たる彼は醜い生を拒絶し、美しい死を指向せねばならない。何かの目的を達するため、結果的に世間と相容れなくなるのではなく、自己同一性を保持するために世間と乖離し、事情を知らない者が見た場合分裂症的にも思えてしまうそれは、現代における閉鎖的なファンジンなどの状態を予見しているようにも感じられ、実に興味深かった。
なお、この本は邦訳もされておらず絶版なので、読みたい人は屋木先輩から貸してもらうのが一番かと思われる。
入船高校文芸サークル会誌、虚行記七号(1984年5月発行)より。カット等省略。